『放送禁止 劇場版3「洗脳〜邪悪なる鉄のイメージ〜」』ネタバレを含む考察
前の記事ではストーリーの流れを紹介しました。この記事ではいよいよネタバレを大量に含む考察に入ります。
とりあえず観たという前提で、一問一答形式で考察を進めます。ただし、ハッキリとした答えが無いのが『放送禁止』シリーズの良いところです。以下はあくまで私の見解であり、「こんな見方もあるんだ」程度にご笑覧ください。
Q. 「邪悪なる鉄のイメージ」ってなんなの?
逆から読んで。
EVIL IRON IMAGE
逆から読むと
EGAMI NORI LIVE(江上乃理は生きている)
以上。
ちなみに、志麻子(を演じている霧花)がモニターを通して、このアルファベットの列を繰り返し霧花(になりきっている志麻子)に見せたのは、「乃理は死んだ」と信じ切っている志麻子に「乃理くんは生きている」と思い込ませるための暗示だと考えています。
Q. 志麻子の家の火事はなんなの?
分かりません。
個人的には本作最大の謎。他のサイトでは、志麻子を恨むみなみが金目当ての霧花と結託して火をつけたという考察も見ましたが、個人的には悪意に取りすぎに思えて、あまり好きではありません(もっとも、このシリーズはだいたい悪意の塊なのでアレなのですが……)。私はみなみの友情を信じたい。
孟が火災発生時に現場に急行してるっぽいので、孟放火説はまああるかも。志麻子を強制的に洗脳状態から抜け出させるために、みなみと孟が結託して火をつけた説はありえます。しかし本編を見る限りみなみと孟は大して面識が無さそうな……。
志麻子が言った、「初めてタバコを吸ったら火事になっちゃった」というシンプルな事実が、案外一番真実に近いかもしれません。
Q. 志麻子と乃理くんを火事から助けたのは誰?
火災現場から連れ出したのは孟。
現場の映像には、どこかで見たことがあるあのトラックが。そしてごうごうと燃える家の中に迷わず飛び込む男、孟。大火傷を負いながら2人を助け出した男、孟。しかし、そもそも接近を禁止されている上に、状況的に放火犯の疑いをかけられる可能性もあります。スナックのマスターにアリバイ工作を頼んだのはそのためかも。安全な場所に2人を移し、黙って立ち去る男、孟。
その後、消防隊員?っぽい2人組が、志麻子と乃理を保護します。このへんちょっと見落としていたのですが、この2人組がみなみと霧花かもしれません。しかし、あれだけ派手な火災現場から住人2人をバレずに連れ去るのは、いくら『放送禁止』シリーズとはいえ流石に無理があるかな……。
Q. マリアは人身売買してたの?
可能性はある。
みなみが、マリアと付き合いのあった女性にインタビューした際、「九州にある養護施設に子供を引き取って……」みたいな話が出ました。しかし、その後このような施設は無かったことが明らかになります(どのへんだったか忘れましたが……)。
しかし、養護施設があったにせよ無かったにせよ、マリアが信者から子供を取り上げていたという噂はあったようです。そのため、「久慈マリアが反社と結託して人身売買をしていた」という話は、否定も出来ないが肯定もできない、という玉虫色の答えになります。本作の最大の「悪」は久慈マリアなので、どんな悪さをしてても不思議ではありません。
それにしても久慈マリア、初めっから死んでる上に、本人が登場するシーンもほとんど無いのに、すごい存在感のあるキャラクターであるように思います。
Q. 志麻子の治療中の乃理くんはどうしてたの?
分かりません。
本作2番目の謎。ご飯とかどうしてたの?とか、学校は行ってたの?とか心配になりますよね。
乃理くんは志麻子と一緒に火事にあった後で保護されたのか、それとも一度マリアにさらわれた後で保護されたのか。そのへんの「真実」を知っている唯一の人物である志麻子の記憶が、洗脳のせいで何一つとしてアテにならないので、なんとも言えません。
志麻子が霧花の治療を受けている間、乃理くんも霧花の家で生活してたとしたら。一つ屋根の下ってことだから、学校行ったりしてたら流石に志麻子にバレるよね……。
まあみなみか霧花が手配して保護施設とかに入ってたんじゃないの?それか孟が預かってたとか。いかに作り込まれているとはいえ、フィクションだから多少はご都合主義的な箇所もあるでしょう。細かいことには目をつぶりましょう。
Q. マリアは本当に自殺したの?
マリアは孟に殺害された。
根拠は何だと聞かれると、これは『放送禁止』シリーズ的に固いんですとしか言いようがないですが。
伏線として、みなみがインタビューした女性の「(誰かから)警察に行くぞって言われてて、その人と話に行くって……」という発言。マリアを呼び出したのはおそらく孟です。マリアの最後の姿を映した防犯カメラの映像に映り込んでいた、孟の会社のトラック。そしてマリアの自殺現場の近くに落ちていたアメスピ(紫)の空き箱。
そう、マリア死亡の犯人は孟です。
Q. 孟の「不倫相手」は誰?
マリアの信者、またはマリア本人。
いずれにせよマッチポンプ的に不倫をでっち上げられたのだと思います。不倫相手がマリア本人だとすれば、孟が「あの女」と特定して恨んでいたこと、死んだマリアに「抵抗した痕跡が無い」ことも辻褄が合います。
Q. マリアが抵抗しなかったのはなぜ?
油断していたから。
マリアは不倫絡みで孟を一度陥れているわけです。2度目も上手く懐柔できると思ったのではないでしょうか。孟の「不倫相手」がマリア本人だとしたら面識もありますから、余計油断したんじゃないでしょうか。孟の恨み、固い殺意を舐めてかかっていたんだろうと思います。
Q. どんなエンディングだったらいいなと思う?
孟と志麻子と乃理くんの3人が再び家族になる。
志麻子と乃理くんはまた一緒に、幸せそうに暮らしているようなので、あとは孟が気になるところですね。
最後のほうで、志麻子のアパートの窓の外にどこかで見たことがあるトラックが映り込んでいましたが、孟には陰から見守るだけでなく、ちゃんと幸せになってほしいと思います。
Q. みなみの「私達の計画」ってなに?
これは複数考えられます。
みなみと霧花の計画
これが一番まっとうな発想でしょうか。志麻子の洗脳が解けて、乃理くんのことを愛していることが確認できたら感動の再会、みたいな。
みなみと孟の計画
みなみは、火事の原因を探る中で孟に接触しました。その時の印象は「恨んでいるようには見えない」「まだ愛していると言っていた」と、決して悪いものではありませんでした。その後さらに調査を進める中で、志麻子と乃理くんを火事から救ったのが孟であることに気づいたとしたら──霧花とみなみが、志麻子の乃理くんへの愛情を確認したように、みなみも孟の志麻子への愛情を確認していたとしたら──志麻子の幸福を取り戻すために、みなみが孟と結託することも、ありうるのではないかと思います。
いずれにせよ、みなみの口から「私達の計画」という言葉が出ていますから、ある程度みなみが画を描いていたのは間違いないでしょう。
Q. 霧花(本当は志麻子)はなんでみなみにあんなひどいこと言ったの?
自分の精神を守るため。
志麻子は(霧花の人格の時だったとはいえ)みなみのことをボロカスに言っていましたね。嫉妬して火をつけただの、他人の不幸が楽しくてしょうがないだの、カメラで付け回して見世物にしようとしてるだの。これは霧花の人格から出た言葉ではなく、志麻子本来の人格から出た言葉なのでしょう。
とはいえ、この時の志麻子の精神は、まだ乃理くんの死、その原因を受け入れられる状態ではなかったのだと思います。
みなみには気の毒ですが、あの時の志麻子には心の受け皿というかサンドバッグが必要だったので、親友だから我慢してもらいたい。実際我慢してるので、みなみの友情は大したもんです。
Q. 「洗脳~邪悪なる鉄のイメージ」というタイトルの本当の意味は?
霧花による志麻子への洗脳(治療)を意味している。
本作では「久慈マリアのよる江上志麻子への洗脳」が強調されがちですが、タイトルにおける「洗脳」とは、「小田島霧香による江上志麻子への洗脳」を意味すると思います。
作中では、機能脳科学者である苫米地英人氏による洗脳および脱洗脳のメソッドが語られます。その中で注目すべき一節が、「洗脳前の記憶を消す」「人格を変える」という2つの方法。この方法は(おそらく)久慈マリアによって一度行われ、結果として志麻子の家庭は崩壊してしまいました。
小田島霧香が脱洗脳のために行ったのも、久慈マリアが行ったのとほぼ同じ方法です。人格の転移を利用して、志麻子の記憶・人格をリセットしました。そして、治療の過程で様々な暗示(EVIL IRON IMAGEとか、子供の足音・笑い声とか)を与えることで、志麻子の記憶・人格を再形成していった、つまり洗脳の上書きをしていたのではないか。つまり本作は「霧花が志麻子を洗脳するストーリー」だったのだと考えます。
Q. この映像はどうして「放送禁止」になったの?
みなみが志麻子を守るため。
本作の終盤で、
この映像は取材者である鷲巣みなみさんの希望により放送禁止となった
というテロップが入ります。この映像をお蔵入りさせたのは、みなみだということです。『放送禁止』的に考えるならば、この物語の中に「鷲巣みなみが隠したかったもの」が映っていた、ということになります(放送倫理、BPO的にマズいのはどうなんだという話は一旦忘れましょう)。
推測ですが、おそらくみなみが最も「真実」に近づいていたのだと思います。はじめは乃理くんを保護して、志麻子の洗脳を解くだけだったつもりが、マリアと孟について調べるうちに事の真相に気づいてしまい、それでも親友である志麻子のために治療と記録を続け、終わってみたらコレは出したらマズいですわと。
この映像を放送してしまうと、孟がマリアを殺害した事実が明るみになってしまう。すると、せっかく志麻子と乃理くんが取り戻した、平穏で幸せな生活も台無しになってしまう。だから放送禁止にした。そういうことなのではないかと思います。
モキュメンタリーの傑作『放送禁止』シリーズ
このように、大きな筋立てや細かい描写の一つ一つが積み重なって、様々な裏設定が見えてきます。一つ一つの発見をどのように解釈するのかは、視聴者に委ねられています。どういう「真実」が見えてくるのかは、視聴者一人ひとりによって変わります。
フェイク・ドキュメンタリーとしての完成度も高く、ともすればドキュメンタリーサイドでのストーリー(本作で言えば洗脳と脱洗脳)に引き込まれてしまいます。その中で小さな真実の欠片を、画面の隅っこや、俳優の演技の細部から探るのが、本作の大きな醍醐味といえるでしょう。
『放送禁止』シリーズでは、唯一の答え、唯一の「真実」が提示されることはありません。上述した私の「考察」も、所詮いち視聴者の見解であり、これが正解であるというわけではありません。観た後で「自分は本当に真実に到達したのだろうか?」ということが確信できないモヤモヤ感が残りますが、どこまでも想像力を掻き立てられる傑作シリーズだと思います。是非一度ご視聴ください。