精神障害の当事者から見た永田豊隆『妻はサバイバー』感想

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精神障害者福祉 読書

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昨晩寝る前に妻からすすめられて、noteに掲載されていた、永田豊隆『妻はサバイバー』を読みました。4月28日16時まで無料で読めるそうです。

昨晩は寝る前だったのでサクッと斜め読みして、今朝方仕事へ向かう途中にしっかりと読みました。これから仕事だというのに、涙が止まらなくなりました。

どんなお話ですか

筆者である永田豊隆さんは、朝日新聞で記者として勤めています。永田さんと奥さんが結婚してから4年ほど経ったころ、奥さんが過食を始めるところから、永田さんと奥さんの辛く、苦しい歩みが始まります。

永田さんの奥さんの過食はエスカレートしていき、家計を蝕んでいきます。また、過食だけでなく、自傷や暴力、アルコール依存といった症状も現れて、永田さんと奥さんを苦しめます。

この記事は、永田さんと奥さんが、さまざまな障害に翻弄され続けた20年の記録であり、現在進行形で進んでいる二人の人生の歩みです。

精神障害者を側で支えるのは本当に大変

内容については本文を読んでもらうのが一番いいので特に書きませんが、初読ではとにかく永田さん大変そうだなと思いました。

私は自分が双極性障害を患っている当事者なので、家族など側で支えてくれる人たちの現実・実情にはあまり思いが至っていない部分があったのですが、改めてしっかり描かれると、これほど大変なものなのかという驚きを覚えました。

永田さんは新聞記者ですので、ただでさえ仕事が忙しいわけですが、そこへ奥さんの負担が加わるわけです(「負担」という表現は本文には出てきません。私が便宜上使っています。)。なかなか正気ではいられないと思います。

率直な感想ですが、永田さんはめちゃくちゃタフだと思います。奥さんのケアをして、夜中に病院へ行ったりしながら仕事を続ける。誰にでもできることではありません。しかし、永田さんもやはり適応障害になって、休職されたこともあるそうです。

暴力、浪費、アルコールなど、大変そうだと思う場面はたくさんありました。なかでも、過食を繰り返し、お金がなくなって、奥さんが永田さんに「サラ金へ行こう?」と言うシーンが、一番強く心に残りました。

精神障害者として身につまされる

私も精神障害(双極性障害)を患っています。今はわりと調子がよく、人並みの暮らしができていますが、数年前まではうつが酷く、一年以上寝込んでいました。

また、何年か前まではアルコール依存に近い状態に陥っていました。当時は仕事をしていなかったこともあり、目を覚ましている間はずっとお酒を飲んで過ごしていました。

当時は既に結婚しており、妻と二人で暮らしていました。当然のことですが、生活を巡って、妻とは何度も衝突しました。お酒のことでも何度も言い争いになり、何度も何度も「お酒を止めよう」と説得されました。

永田さんの奥さんと同じように、AA(アルコホリック・アノニマス、アルコール依存症者の自助グループ)に参加したりして、なんとか過量飲酒の状態から脱することができました。

当時のことについて、妻と話をすることは、今まであまりありませんでした。妻が話したいかどうかはともかく、私としては自分の恥ずべき部分ですので、あまり触れたくなかったというのが本音です。

ただ、永田さんの記事を読んで、私も、私たちのあの時期のことについて、棚卸しをしなければならないのだろうなと思いました。

私にとっては、お酒を止めて生活も安定して一件落着、です。しかし、私を側で支えてくれた妻にとっては、まだ終わっていないかもしれない。そんなことを思います。

これからもともに生きようね

ストレートに言うと、永田さんは、こんな辛い目に遭って、どうしてまだ奥さんと一緒にいようと思うのだろうかと、不思議に思いました。実際、永田さんからも奥さんからも、離婚を口にしたことはあったようです。

自分のことを振り返ってみると、一番しんどい時期には、たしかに離婚を考えたことがありました。離婚したからどうなるわけではないのですが、一緒にいないほうがお互いにとっていいんじゃないかと思っちゃうんですね。

それでもどうして離婚せず、一緒に生きていくのか。文末の、この一文がすべてだと思います。

本当にありがとう。これからも共に生きようね。

結局、その人と一緒に生きていたいんですよね。辛いこと・しんどいこともあるし、お互い嫌なこともあるけど、やっぱり一緒に生きていきたい。

永田さんと奥さん、もしかしたら離婚したほうが幸せだったかもしれません。たらればの話にはなりますが、永田さんには奥さんが、奥さんには永田さんが重荷になっていたかもしれませんし、別れるのがお互いのためだったかもしれません。

それでも別れない、「共に生きよう」が、お二人の選択なんだと思います。きっと今までに、何度も何度も何度も何度も同じような問いと選択を繰り返して、今に至ったんじゃないでしょうか。それが正解なのかどうかはともかく、「これからも共に生きようね」で筆を置いた永田さんは、とても素敵だなと思いました。

永田さんからの問いかけを考える

単なる美談ではない

皮肉ではなく、感動のストーリーだと思います。私は今朝会社で『妻はサバイバー』を読んでいましたが、自席で泣いてしまいました。永田さんと奥さんの姿を思い浮かべると、あまりの愛おしさに今でも涙が出ます。

さて、本文中で永田さんは次のように述べております。

ジャーナリストの仕事は問題意識がすべてだと思う。

永田さんが『妻はサバイバー』を執筆された背景にも、いくつもの大きな問題意識があります。つまり、これは永田さんから私たちへの問いかけであると思います。感動して涙を流して終わらせてはいけないとも思います。

大切なのは暮らしを続けていくこと

精神障害者を側で支えること、正直ものすごく辛いし、しんどいことだと思います。永田さんの奥さんが特別大変な人というわけではなく、みんな結構こんな感じなのではないかと思います。私も、ちょっと具合の悪いときはこんな感じだと思います。

いきなり激怒したり、口汚く罵倒したり、突飛な行動をしたり、死にたいと言ったり、死のうとしたりするわけです。遠くの他人なら放っておくこともできるかもしれませんが、近くにいる家族だから、そんなわけにはいかないわけです。

近しい人の感情が爆発する場面に毎日のように曝露して、疲れないはずがないですし、耐えられなくても当然だと思います。

永田さんと奥さんは、幸いなことに、上手くいっているようです。「上手くいっている」という言い方は、永田さんご夫妻に対して大変失礼な言い方かもしれませんが、少なくとも今のお二人は幸せに見えます。

ただ、ここで二つ注意すべきことがあります。一つ目は、「上手くいっている」陰には、並々ならぬ努力や労力があるということです。

『妻はサバイバー』を読めば言わずとも分かることですが、永田さんは本当に、血反吐を吐くような思いで、奥さんに向き合っています。これは誰にでもできることではないと思いますし、誰もがこうあるべきとはとても言えません。

二つ目は、「上手くいかない」場合や時期も、当然にあるということです。

私も、自分が双極性障害になってから10年間のことを、文章に書き出してみたことがあります。双極性障害になってからも、自分なりに一生懸命生きてきたつもりではありましたが、やはり酷く落ち込んだ時期がありましたし、中には書くも無惨な時期もありました。

永田さんは、ずっとご自分のベストを尽くしていたと思いますが、それでもなお上手くいかない時期はあったと思います。永田さんにも、記事には書けないほど酷い時期があったかもしれません。

また、縁起でもないことですが、ここ数年が単なる小康状態だっただけで、しばらくしたらまた症状が悪化することもありえます。今が大丈夫だから死ぬまで安心というわけでは、まったくありません。

私の家庭もそう、永田さんご夫妻もそうだと思いますが、いい時期と悪い時期とを繰り返しながら、暮らしは続いていきます。

そして、私たちにとって本当に大切なことは、いい時期と悪い時期とを繰り返しながらも、こうして暮らしを続けていくことだと思います。

続けていくためにどうしたらいいか

医療や行政など、大事なことは全部『妻はサバイバー』に書いてあるので、ここではまた自分のことを書きます。

私は精神障害の当事者ですので、専ら支えられる側なのですが、支えられる側は支えられる側で、辛かったり、しんどかったりすることがあります。

これについて、当事者である私からすると「自分が悪いんだから……」という自己責任に似た意識があり、今まではどう言い表したらいいのか、よく分かりませんでした。

そんなとき、『妻はサバイバー』の中にある、永田さんの奥さんの言葉が心にスッと入ってきました。

「回復って、まだ私にはイメージできません。でも、夫と普通に暮らしたい」

この言葉を読んで、自分もこんな感じなのかも、こうありたいから苦しむのかもと思いました。

回復ってなにか、分からないんですよね。永田さんの奥さんは、もうずっと何かを抑え込んで生きてきたわけです。

「幼いころから暴力にさらされてきた奥さんは、常に緊張と恐怖のなかで生きてきたでしょう。ところが、永田さんと一緒に暮らすようになって、生まれて初めて安心できる環境におかれたわけです。言ってみれば、安心して症状を出せるようになったんですね」

それが、永田さんと一緒になったことで、抑え込んでいたものが溢れ出てしまったんでしょう。

「回復」という言葉を辞書で引くと、「もとのとおりになること。」と出てきます。永田さんにとって、「もとのとおり」とはなんなのでしょうか。かつてのように、何かを抑圧し続けている状態が、永田さんの奥さんにとっての「もとのとおり」なのでしょうか。

私も、双極性障害を患ってからもう10年が経ちます。10年前の自分がどうであったか、もう思い出せませんし、「もとのとおり」と言われてもピンと来ません。それに、この10年間でいろんなことがあって、それもかけがえのない自分の一部ですから、「もとのとおり」では困るというのもあります。

ですので、「回復」ということについては、「分からない」という気持ちの他に「分かりたくない」という気持ちもあります。

双極性障害になって、躁とうつとを繰り返して、ここ10年くらいは人生に進歩が無いというか、同じところを行ったり来たりしているような感覚があります。

気分が良くなったり悪くなったり、生活環境が良くなったり悪くなったり……万事において浮いたり沈んだりを繰り返しているうちに、「普通」とはなんなのかも、だんだん分からなくなってきました。

それでも、分からないなりにも、なんとか「普通」に暮らしていきたいと思います。永田さんの奥さんが抱いた「夫と普通に暮らしたい」と願いは、とてもよく理解できました。

私も、永田さんの奥さんと同じ願い、「妻と普通に暮らしたい」という願いを抱きながら生きています。「回復」とは何か、「普通」とは何か、分かりませんが、とにかく妻と一緒に暮らしていきたいと願っています。

そして、この願いを抱き続けている限り、私は、私たちは生きていられるのだろうと思います。

永田豊隆さんの『妻はサバイバー』、ぜひ読んでください。

妻はサバイバー 単行本

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